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キリストは生きていた!?

一部の村でわずかに囁かれているその謎を追う。
不思議捜査官達の意見を元に長官が作成
注意

当サイトは単純にミステリーを追うホームページであって、 このページはその一部であり、宗教とは関係ありません。 宗教関係者の方は理解された場合のみご覧ください。

時代背景

前5世紀頃、ヘブライ人のみが救われるという選民思想が存在した。 形式的律法主義、つまり戒律を重んじ、一部の人のみが救われると いう思想である。例えばモーセの十戒はこれに当たる。 しかし、イエスはこの考えには反対した。 神の愛(アガペー)による救済・隣人愛を説き、 誰でも平等に救われるという考えを持っていたのだ。 しかし、階級制度のあるローマ帝国にとっては平等という考えは 喜ばしいことではなかった。 そして、ピラトによりイエスは十字架に架せられた。 弟子達はイエスの復活を願った。 イエスこそ救世主(メシア)だと思ったのだ。 キリストの語源はここからで、救世主(メシア)はギリシア語でキリストである。 その後、ペテロ、パウロなどの使徒により世界的に伝道されていった。 平等という考えは平民など位が低い人たちには嬉しい 教えだっただろう。そして支配力は徐々に衰退するうちに 上流社会にも浸透していった。そしてキリスト教団(教会)が出来た。 それと同時に弟子達により『新約聖書』が完成させられた。 しかし、またしてもこれを見てローマ帝国は反発する。 そして取った行動は大迫害である。 その後、キリスト教徒は暴君であるネロ帝より大迫害された。 ネロ帝は自ら母親・義弟を殺し、 コロッセウムなどで猛獣と人を戦わせて楽しむ暴君であった。 その後、ネロ帝は元老院により国家の敵とされ自害した。 その後の大迫害としてはディオクレティアヌス帝の迫害などが有名である。 しかし、まだキリスト教はおさまらなかった。 こうなるともう止めようが無い。そしてあることを思いついた。 これを利用しようと考えたのである。 コンスタンティヌス帝はミラノ勅令を発した。 キリスト教を公認したのだ。 この時にはキリスト教は二通りの考えが出来上がっていた。 神・キリスト・聖霊は三つでありながら、 一つであるという考えの三位一体説を唱える「アタナシウス派」と、 キリストを一人の"人間"として捉えた考えの「アリウス派」だ。 後に行われた二ケーア公会議ではアタナシウス派が正統とされる。 その後、二ケーア公会議で異端とされたアリウス派はゲルマン人達に伝わった。 そして、キリスト教は現在に至るまで世界宗教として信仰されている。

イエスの一生(聖書を元に作成)


イエスが洗礼を受けたとされるヨルダン川

ベツレヘムで母マリアから生まれた。

30歳を迎えるころヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受ける。

弟子達と旅をし、病気を治すなど数々の奇跡を見せる。

自ら運んだ十字架でゴルゴダの丘に架けられる。

3日目に復活し、救世主(キリスト)となる。

検証

キリストは産まれた場所が馬小屋だということが印象的だが、 預言者としても有名な聖徳太子。 彼も同様に馬小屋で生まれたとされている。 そして聖徳太子も地球儀や予言など様々な奇跡を起こしたといわれている。 これは単なる偶然だろうか…。 そして、さらに驚くべきことは、 なんと「キリストは実は処刑されていない可能性があった!」 ということである。青森県三戸群新郷村。 その村にはこんな伝承がある。 「ゴルゴダの丘で十字架に貼り付けられ死んでいったのは身代わりの人物。 キリストは隙を突いて密かに死刑を逃れ、日本に渡って生涯を終えた」、 これを思わせるものとして、伝統的な服装など身近なものに 西洋の文化を思わせるものが多い。 そして、現在でも歌われている中にもこれは見られる。 それは、日本語としてはっきりしていない言葉なのだが、 キリストが使用していた言語にそっくりなのだ。 つまり、これはキリストが日本に渡り、それが現代まで 伝統として受け継がれているということを意味しているのだろうか… また、実際にキリストの墓や、弟の墓も存在する…
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